本かつお
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●なぜ気になったか
phaさんの本は5,6冊読み、その考え方には共感することも多かった。タイトルから察するに人生への向き合い方が変化したのであろう。どう変化したのかを知りたい
●読了感想
語られていることは理解できるが、人の目を気にしなければ中年になろうが続ければいいのでは。結局「自分は他人の目や世間の圧力など気にしない」と言いながら気にしているってことで、それはさすがにダサいと感じた
アマゾンレビュー
●心に響いたフレーズ
- 特に組織とかに属しているわけじゃないし、他人の目や世間の圧力などをあまり気にしない性格だから、別に年をとってもそんなに変わらない生活を続けられるんじゃないか、と昔は思っていたけれど、そんなに上手くはいかなかったようだ
- 散歩が好きなのは、歩いていればいつも何か思いつくからだ
- 昭和的な店よりも平成的なチェーン店の方が好きだ、と思っていた自分が、令和の今になって、こんな昭和の遺産のような店に通うようになるとは思わなかった
- ネットは便利になった。しかし、今のネットはいつも争いや炎上があふれていて、とても疲れる場所になってしまった。(中略)、ネットが一般化して、ユーザが大衆化した結果、現実世界と同じように、善意だけでは秩序を守れなくなった
- 昔はお金のない自分のことをよくコンテンツにしていた。そうするとネットのみんなが面白がってくれたから
- 「いい人」みたいに見られることが多かった気がする。(中略)、僕は「いい人」なのではなく、いろんなことがどうでもいいだけなのだ。どうでもいいから別に怒らない。誰にも何にもあまり執着がない
- 「自分はひとりでも寂しくない」とか「何にもこだわりや執着がない」とか「インターネットでゆるいつながりがあれば生きていける」などと、無敵を気取って言っていた昔の自分が恥ずかしい
- 今まで見ないふりをしてやり過ごしてきた自分の中の弱くて嫌な部分と向き合うべきなのか。さすがにもう、二十代や三十代ではない、四十代になってしまったのだから
- 昔よりも今のほうが、ちゃんとお金を稼がなければならない、という空気が強いように思う。(中略)、今は、格差社会化や高齢化が進んだせいか、役に立たないものを面白がる余裕がなくなってしまった。そんな時代の空気の中で、自分の存在が少しずつ時代遅れになってきているのを感じる
- 本当はこれでよかったんじゃないだろうか。他者なんて面倒くさいものを求めていろいろと外の世界を動き回って、傷ついたり疲れたりしてきたけれど、欲しいものは全て自分の中にあったんじゃないか
- 若さというのは本当に魔法のようなもので、本当は大したことがないものを、いくらでもキラキラとしたものに見せかけてくれる
●目次
- 普通の中年になんかなりたくなかった
- Ⅰ
- ずっと練習のような気持ちで生きてる
- 中年の不要な存在感
- 死について考えなくなった
- ひらめきアディクション
- ひとりでいるのに慣れすぎた
- Ⅱ
- デフレ文化から抜けられない
- どんどん自動化されていく
- ウェブ2・0と青春
- すべてを共有したかった
- シェアハウスという水槽
- 変な家にばかり住んできた
- 男はなぜ集まりたがるのか
- Ⅲ
- なんで京都に住んでないんだろう
- うるさいけど、とても、いい
- 幽霊の音楽
- いつも追いつかれている
- このまま逃げ切りたい
- 猫との境界線が消えていく
- あとがき
プロフィール
「観る読む歩く、釣る食べる、求められれば写真撮る」そんなマイペースな人生を淡々と・・・。