本かつお
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●なぜ気になったか
『正直個性論』の出版で本書を知った。表紙写真の印象だけでは読みたくないほうにいくはずが、タイトルとの相乗効果で「どのようなことが書かれているのだろう?」と読みたくなった
●読了感想
表現や論調が受けとめしづらく理解に至らないエッセイもあるが、冷静な観察眼と核心をついた考え方には本質的に共感することが多く、この先絶対出会わない唯一無二の文体表現が加わり引き込まれ楽しめた
アマゾンレビュー
●心に響いたフレーズ
- 映画好きな人は口を揃えて「映画を観てもストーリーを全然覚えてないし観ながら自分が何考えてたかも覚えてないし、何なら観たかどうかも覚えていない」と、言っている
- 日常的に観る本数が多い人ほどこういった態度で映画に接している傾向があるのです。つまり、『映画を楽しむコツ=そんなにちゃんと観ない』
- (日常的に本を読みまくっている)私自身も本を読むときには「本を読んでも内容全然覚えてないし読みながら自分が何考えてたかも覚えてないし、何なら読んだかどうかも覚えてなかったりする」
- 「障がい者」という表記、(中略)、わざわざ「害」をひらがなに置き換えてしまったせいで、「害を抱えている事実を隠さなきゃ」という発想が薄っすらバレているような気がします
- 誰も質問をしていないにもかかわらず、ことさらにアピールされている情報がある場合、それは真逆の現状を指し示している
- 近年はSNS上で何もかもヤバくない側の組織に所属していなければいけない、といったプレッシャーが強まりすぎて苦しい思いをしている人も多いんじゃあないかと思います
- (文章の構成は)、1問題提起、2具体例、3考察、4結論です。(中略)、マイルドに言い換えてみます。1ハイパーセルフ難癖タイム「これやばくないか?」発表会、2エピソードトークコーナー 事実のPR、3持論 一人TVタックル、4伏線回収タイム 計画通り
- 簡単な小論文を書くときに出だしに困ったら、これをそのまま引用してしまえば非常に楽です。(中略)、「抱えている問題」に「なぜか」を加えるだけ
- 教育課程で身につける文章の書き方は面白いかどうかは度外視して、「どれほど忖度できるか、言外に要求されている態度を読み取って大げさにポーズできるか」、という点が重視されすぎている節があります
- (読書感想文に)求められているのは年齢に応じた適正な子供らしさによって社会全体の道徳的態度が補強され得るような意見と、大きなものに巻かれる社交術、立場が上のものを喜ばせる下の立場のものらしい振る舞いの演習のようなもの
- (読書感想文は)「社会選択文」と言ってくれたほうが、まだ「感想」の意味がわからなくなる人が減って親切なのに、と思ったりもします
- アメリカ映画脳は鵜飼いの支配から逃れようとする鵜で、日本映画脳は鵜飼いをして生きていくしかない鵜飼の哀しさで、フランス映画脳はそれを見ている松尾芭蕉、という感じ
- 多くの人が、物心ついたときには、「かたづけなさい」と指示された経験があるでしょう。(中略)、一体「かたづけ」とは何をどうすれば「かたづけた」ことになるのか、(中略)、 まずはそこだろ。頼むから教えてくれ…誰か
- 「生活感の隠蔽」がかたづけの主目的として語られるようになってしまい、マスキングテープでデコった百円ショップのトレーに生活雑貨を並べて偏執的に整えては、暮らしが余計に困難になるという複雑な苦しみが発生しているのではないか
- 本来、かたづけとは「運用を視野に入れたレイアウト管理」のことです。しかし、一般的には「他人に見られても恥ずかしくないとされる状態まで生活感を低下させる」という意味合いで使われることが多く、(中略)、多くの苦しみ、矛盾を含み多くの人々を困惑させ苦難の渦に巻き込み続けているのです
- 「良かれ…!」と思ってやったことが大失敗ということは人生の常であり、(中略)、だから我々は一つだけ忘れてはいけないことがあるのです。『それは、人による』
- (考えすぎている人は)変なくろうや損をしていることも多いかもしれません。なぜなら、考えすぎな人向けでない場がこの世には多いから
- 真上から見たときに正円で、真横から見たときに二等辺三角形である立体は、傾けると円錐として認識できるように、ものごとの見方には裏表があるのではなく、視点と解釈が常にあるだけで、それは世界そのものであります
- 「普通がいいんだよ、普通が一番」と、したり顔で言われたことがありますが、他人にとっての普通など私は知りませんし、関心の持ちようがありません。そもそも私はその内実を全く知らないのですから
- 実は連続的なものとしてあらわれている「平凡さ」の中にも「特別」は見いだすことができるのです。なぜか。それは、一見「平凡さ」として立ち現れている連続体は、実のところ全く連続的ではなく、コマ撮りアニメーションのように独立した瞬間の総体でしかないからです
- 私は多分(本が)好きなんだと思います。というか出版物が大好きです。強いて言えば命というか。読むなら物質の本じゃないと嫌なので、ずっと存在していてください。本だけは絶対なくなったら困る。映画はまあ、なくなる気配全然ないけど、最悪なくなってもいいよ
- 私は本という製品は、この世で値段がついているすべての物質の中で、最もお買い得な商品だと思っています。内容(一人の人間が一生かかって得た考えなど)と対比して、価格があまりにも驚異的に、度がすぎて異常に安すぎるから
- 人間は結構ヤバいので、根本的によくなることはできませんし、物事を一気になんとかする便利な解決方法もありません。だから常に、若干マシになり続けるしかないのです
●目次
- はじめに
- 1 気さく
- 本は全部読まなくてOK
- 「障がい者」という表記は使わなくてもいい
- 自分のことを矢沢永吉だと思い込んでいる人々
- 痩せなくていい
- 『ノンアダルトの法則』
- 得のダンスは損のDJ
- 〈実力〉=「自分のせい」でやる力
- 「圧」に「圧」で対抗するより、見守ったほうがラッキー
- 最先端の孤独
- たった1つの他人への願い〝他人でいてください〟
- ニセモノに憧れたって構わない
- 2 マシ
- 「ガルマは死んだ」構文で分かる、誰もが理解できる文章の書き方
- 冷酷・自由・正直な「フランス映画脳」
- 無尽蔵に理不尽なクレーム vs 事実の指摘
- 憧れのストロー
- 「かたづけ」というものが根本的に分からない人に向けたゼロからの解説
- 「良かれ」と思って大失敗
- 目の前で泥棒をする人を見て気がついたこと
- 「怒ってるでしょ」は全部ハッタリ
- 人生に絶対的な安心がないから脳は常に完璧な命を希求するしそれは「死」のことである。だから生きようとするあまりに絶命に至る神経は点滅を繰り返し、結果としてグラグラの積み木の頂点に仕上げの三角だけ載せようとする行為が蔓延する。
- (なし)
- 3 演繹
- 残像として意志として
- 【提言】テディ・江角マキコ(概念)はドーナツである
- 我々は悠長に隠れミッキーを探している場合ではない
- ポーツマス
- 「突然の熱海」をやりにいく、コントローラブルな主体概念としての「30代女性」
- 「やりすぎて何の意味もないのに、無駄や余白も一切ない空間」
- あまりにも露骨なソーランを今日も(明日も)((明後日も))
- どこまで行っても、なんかやだ
- 噴霧主への度し難い尊敬
- 「親」という他人からの親切なコメント
- あとがき
プロフィール
「観る読む歩く、釣る食べる、求められれば写真撮る」そんなマイペースな人生を淡々と・・・。