本かつお
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●なぜ気になったか
自然災害起因の未曾有の原発爆発。東京電力が責められるのは酷と感じもする。内部技術者の体験と考えたこと、ぜひとも知りたい
●読了感想
タイトルにだまされた感。著者の東電社内における理不尽と感じさせられる境遇ベースの話。個人的に東電では働きたくないな、と思わされる内容だった
アマゾンレビュー
●心に響いたフレーズ
- 残業の後、出来る限りスポーツジムに寄っていたのは、今でいうセクハラやパワハラまがいのことも毎日のようにあって、むしゃくしゃした気分を発散したかったから
- どんな理不尽な業務が回ってきても、できないだろうと思われるのが嫌だったし、できない自分も許せなかったので、きっとできるはずと自分を鼓舞してきた
- 会社は「女性リーダー研修」などやってはみたものの、研修を受けてやる気になった女性をかえって持て余し、こうやって(関係会社に)飛ばされたのではないか、と勘ぐりたくもなる
- (二週間連続勤務は)、 さすがにきつくて、途中一回だけ休みをもらい、いつものテニススクールに。テニスは、私にとって欠かせないストレス解消手段
- 福島第一原発(イチエフ)の1号機建屋のが水素爆発を見たとき、(中略)、「うそでしょう? これは画面の合成じゃないの?」と真面目に思いました
- 原発で事故なんか起きない、とにかく原子力は安全なんだという認識は、私を含めて当時はほぼ全社員が持っていたと思います
- (1号機水素爆発後)、契約していた産業医が突然お辞めになった。3月末の契約満了を待たずにされた理由については、私には想像することしか出来ませんでした。
- 事故直後にはAPD(線量計)が足りていませんでした。作業員全員が一人一台を持てないので、リーダー一人がAPDを持ってみんなでなるべく固まって作業し、全員の線量を同じとみなす、というような処理をしていた
- 親が(東京電力の)社員とわかった子どもが殺人者呼ばわりされ、いたたまれずに辞めていった社員も個人的に知っています
- (福島赴任への)、本音を言えば、「行きたくない」という気持ちが半分。でも、残りの半分は、そうであっても東電社員として誰かが行かなければならないという使命感でした
- これまで「電気をつくってくれてありがとう」と言ってもらえたのに、いきなり加害者・殺人者になっちゃったんだ。涙とともにそう痛感したの覚えています
- (福島に赴任した人は)、みな多かれ少なかれ、経営トップに対してというよりは原子力部門に対して恨みを抱いていたはずです。「あいつらのせいで俺たちこんなことになった」と
- (福島赴任から戻り)、多摩支店に在籍した一年八カ月中、(中略)、福島のことについて興味を持って私に質問してきた社員はほとんどいなかった
- 会社のために福島へ行って懸命に仕事をしてきたのに、元の職場に戻ったら誰も福島のことに関心を示さないし、どんな働きをしたか知ろうともしてくれない
- 「人事考課でB評価がついた人は福島に出されちゃうかもしれないよ」私は直前の査定で初めてBをもらっていたのでした
- (福島再着任後)、上司に「地域対応の仕事だからやはり女性が必要だと思った」と言われ、それで私のやる気スイッチが押されたのは確かです
- 浪江町商工会長Hさんから「お宅の会社にはいろいろ思いがあるけど社員さんは好きです」という直筆の御礼の手紙をもらったことがあります
- 浪江町の人たちからひどいことを言われたことは一回もないのに、社内の人間関係の難しさや男女差については本当に考えさせられた三年間でした
- (福島赴任終了に際し、職場の人たちは)、実はいい人たちだったんだ、などとすべて良い方向に考えるようにして気持ちを整理し、東京への帰路についた
- 若手、とくに新入社員の育成に携わりたかった。(面談でも書類提出でも希望を伝え続けたが)、結局その希望は最後まで無視され続けました
- (被災者応対窓口担当社員)、彼らの話しぶりの中には、確実に「やりがい」とか「生きがい」のようなものを感じ取ることができた
- いま私は「どんなことにも必ず学びがある」と考えるようにしています。悲しいけれど、人間にはどうしても抗えないものがあるのですから。
- 私の東電での三四年間を漢字一文字で表したら、「忍」です
- (友人から見て)、間下さんのこの「おもしろおかしい」キャラクターは、彼女がそういう組織の中で生き抜くために獲得した鎧のようなものなのではないかと思った
- (浪江町広報だった私は)、東京電力という会社に対してはある種の感情を持っていますが、(間下さんの取材を通し)、東電はきっと本当に「いい会社」だったのだと感じました
●目次
- はじめに
- 第一章 超少数派の女性技術職として男性社会に飛び込んだ
- リケジョの走りとして「天下の東電」へ技術職入社
- 配電部門で女性初の電柱昇り研修
- 現場担当で一五キロ痩せた新人時代
- 一転して内勤、書類仕事は性に合わず
- 会議事務局、パンフ制作、施設PR……すべて手探り
- 研修センターで昔なりたかった「先生」に
- 10年で五回異動の意味を考える
- 再び現場で激務、でも充実の日々だったのが
- 大きな転機となった女性リーダー研修
- 現場実証スタートまで、乗り越えた幾重もの壁
- 評価を勝ち得て本店凱旋かと思いきや……
- まさかの関係会社出向でまたゼロからスタート
- やっぱり「人」相手の仕事が好き
- 第二章 3・11、あの日を境にすべてが変わった
- 大きな揺れに「これはまずい」
- イチエフ爆発の映像を見て頭が真っ白に
- まずはイチエフの緊急対応を支える仕事に
- 急ピッチで進んだ全社員の意識改革
- いよいよ福島へ赴任の辞令が
- 「私たちは加害者になってしまったのだ」
- 生活全般、ひたすら目立たないよう努力するも……
- 非常事態で表面化した「常識の違い」
- こんどは営業店で社員の福島派遣を担当
- 「福島勤務の経験」は評価されないのか
- 廣瀬社長の対話会事務局で感じたこと
- そして全社のダイバーシティ推進担当に
- 腰を据えて取り組めるかと思いきや……
- 第三章 二度目の福島赴任で私が得たもの
- 全町避難中の浪江町の担当グループに着任
- これでは住民が怒るのも無理はない
- 町内の祭りで東電ブース出展の快挙
- 忘れられない現場作業の思い出
- 除草・除草・除草
- なぜそんなことまで言われなきゃいけないの
- 私が毎日銭湯に通っていたわけ
- 辛さと楽しさが同居していた福島生活
- 気持ちを整理して帰京の途へ
- ここがおそらく東電最後の私の職場
- これまでのすべてを生かし、新天地へ
- 〈インタビュー〉 これまでとこれからと
- 聞き書きを終えて
プロフィール
「観る読む歩く、釣る食べる、求められれば写真撮る」そんなマイペースな人生を淡々と・・・。