本かつお
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●なぜ気になったか
日本を客観的にみることができるヤマザキマリさんの考えには一目置いている。僕より5歳若いマリさんの「老いと死」への考え、私考を深めるために読みたい
●読了感想
「いつまで生きるんだろう」「ボケてまで長生きしたくない」に対する答えを見つけることができた。心に響く内容はいつもよりは少な目だったけど、探していた答えに出会えて満足
アマゾンレビュー
●心に響いたフレーズ
- 動物たちは、(中略)、自分の存在理由が、なんてことに拘っているわけでもないのに、皆毅然としていて美しい
- 人間であれば誰とでも付き合えるというわけではありません。私のそばにいるのは、基本的に倫理的価値観と知性が合致できる人のみです
- 私の母は、あらゆるものに「素晴らしいじゃないの」「きれいねえ、すごいわねえ」と感動する人でした
- 地球に生まれてきたからには、死ぬまで生き続けることをシンプルに納得していればいいのです
- 前進するばかりが人生じゃない。ものは「捉えよう」
- 落ち込み続けることは最終的に時間の無駄、負の気持ちに捉えられ続けていても、何の解決にも結びつかない
- 時々ふと大自然の中で、命に余計な思い入れを課すこともなく、おおらかに生きている生き物たちを思い出してみるのも大切なことかもしれません
- 人間というのはそう合理的にはできていないということを、もっと正面から直視するべきなのです
- 「夕焼けは雲があるほど美しい」パウロ・コエーリョの言葉
- 脳の老化についても息子には、平和な感じでボケていくんだったらそのままにしておいていいから、と伝えてあります
- 長期の病気療養と老化で迎える死にはアグレッシブヴさはありません。緩やかで優しいソフトランディングです。突然の訃報と向き合わされる場合とでは歴然とした差がある
- 生きていた時にあれこれやらかした人というのは、思い出話をしていてもそれがつい笑い話になってしまうものです
- 入院先の病院でそうした自らの変化に対する苦悩から解放され、穏やかな様子の母を見た時の安堵は今も忘れられません
- 亡くなった人だってこっちが頑張って楽しく生きていけば嬉しいんだからそれでいいのよ
- 今はもう息子も一人で生きていけるようになりました。もし明日、我が身に何かあったとしても、まったく後悔はありません
- 母がそうだったように、残された人がパワーとエネルギーを受理できるようにこの世を去りたい
- 私には最後まで母親らしい愛情を見せようとしなかった母ですが、(キスやハグのように)、愛情を常に言語や仕草で表さなくても伝わるものだということを、体現していた人でした
- 授かった寿命を精一杯生きる人間は、老いも堂々としたものになるでしょうし、死への意識も成熟したものとなるはずです
- 前向きな人生の終わりを迎えるためにも、歳を取ることを否定してはいけません
- 命の価値観は人それぞれです。周りが決めた人間の生き方というものに翻弄されないことが、質感のある年齢を重ねていく上で大事なことかもしれません
●目次
- プロローグ
- 第1章 生きて死ぬ摂理
- 延命と若返りに拘りを持つ生物、人間
- 死ぬこと=不吉な出来事、ではない
- カブトムシに学ぶ
- 生は常に「死」と隣り合わせ
- 生き選びるための問い
- 大自然に生きる動物たちの孤統
- 通じ合えなくても共存できる
- 地球に生きること
- 若さに価値を置くのは人間だけ
- 前進するばかりが人生じゃない
- 心の地図を広げて
- 本当の自由とは孤独との共生
- 地球の住民という意識
- ご長寿犬、ピエラの記憶
- メメント・モリ(死を思え)
- 第2章 老いの価値
- 酸いも甘いも噛み分けて
- 老人を排除しない社会
- 長生きの秘訣は嫉妬心?
- 50代が面白い
- 顔はまるで”宇宙”だ
- 私を元気にする女性たち
- 燻し銀の輝き
- 若かろうが年寄りだろうが
- 自分の頭で考える
- 第3章 善く生きる
- ソクラテスの「善く生きる」
- 表層的ではない優しさ
- トロフィーなんていらない
- 老人は「老害」で結構
- 老いと芸術
- 挫折と幻滅と失望のトライアングル
- 失敗を熟成させると
- 夕焼けは雲があるほど美しい
- 第4章 私の老い支度
- ありのままの自分を許す
- 息子への伝言
- 老い≠罪深いこと
- 生涯の友について考える
- アッチャロリ村の秘密。
- 歳を取ったら養蜂を始めたい
- 第5章 母を見送って
- 母リョウコの逝去
- 魂と肉体
- 火葬という扱いに驚いたベッピーノ
- 私の知らない母の素顔
- 音の中に蘇る母
- 魂はどこに宿るのか
- エピローグ
プロフィール
「観る読む歩く、釣る食べる、求められれば写真撮る」そんなマイペースな人生を淡々と・・・。