本かつお
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●なぜ気になったか
選手時代の小平奈緒選手の考え方と生き様には感動させられることが多かった。引退後はなにを考えどのような方向に進むのか興味がわいたのは必然。それが分かる本、読みたい
●読了感想
卓越した能力を持つアスリートには敬意の念、加えて人間的な魅力を持つアスリートには尊敬の念を抱く。小平さんは尊敬を抱く人の一人。北京五輪惨敗理由を本書で知り、有終の美を飾った引退レースまでのスケート人生を尊敬
アマゾンレビュー
●心に響いたフレーズ
- (長野冬季五輪の男子500mで金メダルを獲った清水宏保さんの)ビデオは擦り切れるまで何回も繰り返して観て、中学生ぐらいの時には本当に擦り切れて観られなくなりました
- (父と) 2人で、ああでもない、こうでもないと対話し、試行錯誤をしながら練習をして、創りあげていく時間がとても愉しかった
- 冬が近づくと、練習帰りに車の窓を全開にして「スケートの匂いがする」と言ったことを覚えています。母は「この子は何でもスケートに結びつけるんだ。本当にスケートが好きなんだな」と感じたそうです
- 全国中学大会は500mと1000mで優勝しました。しかし達成感のようなものはありませんでした。当時は大会新記録を目指していて、そこに届かなかったからです
- 高校での学校生活は心身ともに充実していました。一緒にいるだけで笑わせてくれる友達がたくさんいて、心休まる場所でした。先生もフレンドリー。練習で身体はクタクタですが、学校へ行くと、日光浴びているような温かい感じになれました
- (卒業論文で)取り組んだテーマは「スピードスケート女子1000mにおける世界一流選手の優れたカーブ滑走動作の特徴」
- 大学時代は(2006年トリノ五輪で五つのメダルを獲った)シンディ・クラッセンのレース映像をよく観ていました。シンディーの滑りは刻むリズムが心地良く、眠る前に見ているとリズムに包まれてよく眠れるのです
- (バンクーバー五輪で獲った)銀メダルを持って相沢病院の病棟を一つ一つ回った時のことです。ベッドで療養しているおばあさんにメダルを見せると、脈を測定する機器がピコンピコンと鳴ってしまうぐらい心拍数を上げて喜んでくれました
- (コーチの)結城先生からは「休みの日は頼むから休んでほしい」と練習にストップをかけられたこともあります。しかし、当時は疲れはあまり感じていなかったと思います。気絶するように寝て、朝起きたら元気になっている。気持ちが充実していたのだと思います
- 私の考えでは、期待は抱くもので、背負うものではないと思っていました。しかし、(結果の出なかった)ソチ五輪の時は、たぶん背負っていたのだと思います
- (長野五輪やトリノ五輪で金メダルを獲得した)マリアンヌと接する中で、集中力をつくり出すのではなく、入り込むという空気感に触れ、狙った一本を逃さなかった人の空気を感じ取ることができました
- 自分で決めた道。たとえ失敗しても成功したとしても、それは全て私にとっては正解
- 与えられるものは有限、求めるものは無限
- 世界記録にあまりこだわり感じていなかった。 スケート技術の追求に没頭し、滑りが変わっていく過程が、自分にとっては一番ワクワクしていた時間だった
- 1000mまではなんとなく足の感覚が硬いなというのがありました。日本選手団の慣れない硬式の靴で歩いていた時間が長く、足の感覚が少し狂っていたのかもしれません
- 相手を蹴落として勝つのではなく、相手がいるから自分を高めていける。(平昌五輪で)もしサンファが1位になって、私が2位だったとしても、負けて悔しいという気持ちよりも、相手の頑張りを認め、お互いをたたえ合うことができたのではないかと思います
- (「北京」入り2週間前に、練習場)に到着し、駐車場に車を停めてから練習道具を持って入り口まで歩いていた時、斜面で足を滑らせてしまい転倒して、靭帯を切ってしまった
- 4回の五輪を一緒に闘い、ラストレースまで履いていたスケート靴は、大学1年の時から使っていたものです。亡くなった祖父が購入してくれた靴で、18年目に入った「おじいちゃんシューズ」。何度も皮を張り替えたり、カーボンを補強したりするリメイクをして大事に使ってきました
- 相沢病院理事長:小平さんが、帰国してからメダルを持って病室を回ってくれました。いつも難しい顔をしている人が急に笑顔になる様子を見て、僕らが頑張るよりも銀メダルに触った方が患者さんが元気になるんだな、と感じるほどでした
- 結城コーチ: ソルトレークシティではいつも天気が良かった。天気が良いということは気圧が高く、空気抵抗が大きくなるので記録が出にくい条件です。気圧が10ヘクトパスカル下がるごとに1周のラップタイムが0.1秒速くなるというデータがあるくらいです
- 父 小平安彦さん:子どもは生まれ持った良いものを持っています。本人の伸びていく力が大事なので、最初はゆっくりで、もたもたしていても待ってあげて、気持ちの面でも行動の面でも奈緒の先を歩かないようにしていました
- 母 小平光子さん:奈緒の次の組で滑ったサンファのことが気になっていました。彼女にはすごいプレッシャーがかかっていたと思います。サンファ大丈夫かな、「頑張れ!」という気持ちでした
●目次
- Prologue 頂へ一歩一歩 あの日見た風景
- Chapter 1. 求道
- 恥ずかしがり屋で泣き虫の末っ子
- 負けず嫌いで習い事もいろいろ
- 心を突き動かした長野五輪
- 小学生の頃 父と学んだスケート
- 中学の部活動と宮田のクラブを掛け持ち
- 中学2年で全日本ジュニア優勝
- 伊那西高校に進学 コーチの家で下宿生活
- 高校2年始めた一人暮らし
- 人生で一番緊張した信州大学の入試
- 先生からの最初の言葉は「下手だな」
- 大学2年目でW杯デビュー
- 教育実習も経験 充実していた大学3年
- 卒論では1000mの滑り方を研究
- 所属先が決まらないまま卒業へ
- Chapter 2. 試練
- 相沢病院に所属 スケートに集中
- 初めての五輪 バンクーバーでご褒美の「銀」
- 五輪メダルの影響の大きさを実感
- 次を見据えてーー自分を追い込む練習も
- 苦しいレースだった2度目の五輪「ソチ」
- Chapter 3. 転機
- 視点を変えるーーオランダへの留学
- 金メダリストの指導で車の運転を練習
- 下宿は牛舎だった建物 知恵を絞って生活
- オランダ語の習得は楽しみながら
- 賢く練習して結果を出すことを学ぶ
- 留学1年目にW杯初勝利
- 勇気を持って攻めるオランダ人の精神力
- 留学の1年延長を決意
- ストレスや故障… 不審だったオランダ2年目
- Chapter 4. 疾走
- 自分を変えてくれた留学
- 固定観念にとらわれず練習を見直す
- 世界スプリントで初の日本女子総合優勝
- 滑りが変わる過程にワクワク
- 平昌1000m「銀」ウイニングランで違和感
- 平常心で500mへ 自分を超えられた
- サンファと健闘をたたえ合う
- 2人の友が分けてくれた笑顔と度胸
- Chapter 5. 使命
- 身体のバランスが崩れる感覚
- 連戦連勝から解き放たれた
- 人生を変えた台風被災地でのボランティア
- 股関節の違和感「北京」へ時間をかけて
- 「北京」前に足首を捻挫「終わったな」
- 「北京」でありのままの自分を表現
- 競技人生のゴールを決意
- 「金」より「世界記録」より心震えたラストレース
- 見てきた世界、出逢った人の素晴らしさを伝えたい
- Epilogue 人生の旅を走り続けていく
- Contribution 1. [特別寄稿①] 相澤孝夫さん
- Contribution 2. [特別寄稿②] 結城匡啓さん
- Interview 小平安彦さん・光子さん
- Records 主な競技記録
- Author’s note あとがき
- Records 主な競技記録
プロフィール
「観る読む歩く、釣る食べる、求められれば写真撮る」そんなマイペースな人生を淡々と・・・。