2023.11.09 2024.10.01 読了 安楽死が合法の国で起こっていること/児玉真美 本かつお 記事内に商品プロモーションを含みます ●なぜ気になったか いつかは自分も死ぬし、「安楽死」について考えたりすることはある。認めるべきか否かは難しい問題。合法化されている国で起きていることを知りたい ●読了感想 「安楽死」の意味捉えを間違っていた。「尊厳死」と「安楽死」の違いを知った今、「安楽死」は認めるべきでないと考えが変わった。「安楽死は是か非か」は筆者が提唱する別問いに転ずべき アマゾンレビュー ●心に響いたフレーズ 「尊厳死」とは、一般的には終末期の人に、それをやらなければ死に至ることが予想される治療や措置を、そうと知ったうえで差し控える、あるいは中止することによって患者を死なせることを指す。(中略)、それに対して「安楽死」は、医師が薬物を注射して患者を死なせることをいう オランダの安楽死は、ひどい苦痛を回避するための最後の手段から、ひどい人生を回避するための方法となってしまった 気になるのは、(米国で)安楽死の対象者が終末期の人から障害のある人へと拡大していくにつれ、安楽死が容認されるための指標が「救命できるかどうか」から「QOLの低さ」へと変質していると思えることだ 見過ごせないのは子どもへの安楽死の拡大。(中略)、意思決定能力がない子どもたちの「親の意思決定」による「安楽死」 現実の1人の患者に対する特定の治療にかかる費用に対して、「その費用を他に回せば」と架空の想定で救い得る命の数とが比較される限り、常に現実の1人が負けることが宿命づけられている 「意思の疎通がとれない」ということを「意識の回復が望めない(=意識がない)」ことと同じと混同しているのかもしれない。しかし例えばALSなどの神経難病が進行しても、文字盤やIT技術を使えば「意思の疎通」が可能であることは周知の事実 安楽死合法化の議論が広がるにつれて、多くの国で家族ケアラーが介護してる相手を死なせる行為に対して社会と司法がどんどん寛容になっていくように思えてならない 「意思」とはそんなふうに常に言葉でくっきりと余すところなく表現できる、不変で強固なものなのだろうか。本当は、言葉では拾いきれない思いや、合理で説明できない気持ちが私たちの中には沢山あって、「意思」として言葉にできるのは常にその一部でしかないんじゃないだろうか ひとりひとりの善意が集まって世論を形成し、その世論の勢いに押されて(乗じて?)制度となった(された?)ものは、人々の善意とはまた別のダイナミズムによって動き始める 誰なら安楽死で死んでもいい、誰は死んではならないと、一体どこで線を引くというのだろう。その線引きはどのように正当化されるというのだろう。そして、忘れないでほしい。いったん引かれた線は動く 個々の苦しみを置き去りにしないためには、「安楽死は是か非か」という問いを「なぜ死にたいほど苦しいのか」という問いへと転じたい 「終末期の人には安楽死を認めるべきか」ではなく、問題を「終末期の人の痛み苦しみに対して何ができるか」へと設定し直すべきだ ままならないことに取り囲まれて四苦八苦しながら生きる、(中略)、複雑なことは複雑なままに考え続ける以外にはないのではないだろうか ●目次 序章 「安楽死」について 1 「安楽死」への関心の高まり 相模原障害者施設殺傷事件 京都ALS嘱託殺人事件 映画『PLAN75』の世界 素朴な善意から「安楽死が必要」と言う人たち 2 「安楽死」とは何か 「尊厳死」との違い 「積極的安楽死」と「医師幇助自殺」 本書での文言の使い分け 第一部 安楽死が合法化された国で起こっていること 第一章 安楽死「先進国」の実状 1 世界の概況 2008年から現在 その他の国々の動き それぞれの違い 2 スイスの自殺ツーリズム ラディカルになっていく自殺ツーリズム グッダールの自殺とドクター・デス 3 オランダとベルギー 機動安楽死チームと「75歳以上なら可」という法案 精神障害者等への拡大とティネ・ニース訴訟 オランダの「コーヒー事件」 子どもへと拡大する安楽死 4 カナダ 転換点となったカナダの合法化 MAIDの特異性 社会福祉の代替え策にされるMAID コロナ禍で増える高齢者の安楽死希望 第二章 気がかりな「すべり坂」──線引きは動く 1 緩和ケアとの混同 例外措置でなくなっていく安楽死 患者心理に潜むパラドックス 2 対象者の拡大と指標の変化 対象者の拡大 「救命可能性」から「QOL」へ指標の変化 手続きなど要件の緩和 3 「死ぬ権利」という考え方に潜む「すべり坂」 安楽死は「権利」か VSEDと「自殺する権利」 4 日常化に潜む「すべり坂」 医療現場でルーティンと化す安楽死 偽装される安楽死 5 崩れていく「自己決定」原則 困難な意思確認 子どもへの拡大 6 社会保障費削減策としての安楽死 コスト削減圧力 社会が医療に「殺させる」ということ──良心条項と医療の権威性 政治と医療が犯してきた人権侵害 7 安楽死後臓器提供・臓器提供安楽死 すでに現実となっている安楽死後臓器提供 相次ぐ「臓器提供安楽死」の提言 うごめく政治経済上の思惑 第二部 「無益な治療」論により起こっていること 第三章 「無益な治療」論 1 テキサスの通称「無益な治療」法 広がる「無益な治療」論 病院による治療中止判断 ゴンザレス事件 多発する事件、訴訟 「医学的無益性」とは何か ゴンザレス事件をめぐる倫理議論 2 「無益な治療」論の「すべり坂」 「無益な治療」論における対象者の拡大 最小意識状態へ回復しても「無益」 英国の気がかりな判決 「無益な治療」論における指標の変質 QOLを数値化する医療経済学 「健康寿命」のサブリミナルなメッセージ 「この治療は無益か」から「この患者は無益か」への変質 「質的無益」論の人間観 英国のLCPスキャンダル 英国のDNRスキャンダル 日本のDNR指示 「人間らしい」「意味のある人生」とは? 「無益な治療」論と医療コスト 「無益な治療」論が見えなくしているもの 3 「無益な治療」論と臓器移植の繫がり 「有望な臓器ドナー・プール」 心臓死後の提供から脳死後、そして心停止後臓器提供へ デンヴァーこども病院の「75秒ルール」 「循環死後臓器提供」への名称変更 「無益な治療」論との符合 ナヴァロ事件 第四章 コロナ禍で拡散した「無益な患者」論 1 コロナ禍でのトリアージをめぐる議論 緊急事態宣言下の困難 米国のトリアージをめぐる議論 医療資源の「公平な分配」というロジック 年齢による線引き 日本のトリアージをめぐる議論 「クロ現+」の言葉の使い分けの不思議 2 コロナ禍が炙り出した医療現場の差別 「迷惑な患者」問題/英国メンキャップの報告書『無関心による死』 コロナ禍で知的障害のある人たちが直面する医療へのバリア コロナ禍でトリアージを議論する人たちの無関心 第三部 苦しみ揺らぐ人と家族に医療が寄り添うということ 第五章 重い障害のある人の親の体験から医療職との「溝」を考える 1 医師─患者関係を考える 「無益な治療」論の息苦しさ 「白い人」の不思議な世界 医師─患者関係に潜む深い溝 2 医療職と患者・家族の意識のギャップ 「医療」と「生活」の大きさの違い 「判定」のまなざしを「なぜ」へと転じて他者と出会う 親と医師で食い違う「QOL」 3 日本の医療に潜むリスク 日本の不思議な「インフォームド・コンセント」 日本型「患者の自己決定」 日本病院会の「尊厳死」の不思議 患者に権利の放棄を説く日本の医師たち 日本の患者サイドの権利意識は? 早川千絵監督の言葉 ACPという日本型「自己決定」 ステルスで進行する日本型「無益な治療」論という「崖」 第六章 安楽死の議論における家族を考える 1 家族による「自殺幇助」への寛容という「すべり坂」 豪州と英国の家族ケアラーによる「自殺幇助」 類型化により見えなくなる家族の実像 残された家族の苦しみ 2 家族に依存する日本の福祉 日本では、家族介護が「含み資産」 老障介護の現実 家族に「殺させる」社会 3 苦しみ揺らぐ人に寄り添う 患者の苦しみのリアリティを理解する 患者の主観的苦しみのリアリティ 患者とともに取り組む 医療職の苦しみとそこに潜むリスク 意思を翻した人たち 意思は不変で強固か 4 苦しみ揺らぐ人の痛みを引き受ける 自分の無力という痛みに耐えてかたわらに留まり続けるということ 終章 「大きな絵」を見据えつつ「小さな物語」を分かち合う あなた賛成派それとも反対派? 両義的なところで引き裂かれる当事者の思い 「大きな絵」の中に問題を据え置いて考える 「小さな物語」に耳を傾けるということ 問いを「なぜ」へと転じて「是非」の先の地平に開く 原点に戻って問題を設定し直す 親ケアラーとしての思い 声を上げにくくされている者たちだからこそ あとがき 安楽死が合法の国で起こっていること/児玉真美 created by Rinker Kindle Amazon 楽天市場 Yahooショッピング #児玉真美#評価4 プロフィール 本かつおXFacebookInstagramLINEContact「観る読む歩く、釣る食べる、求められれば写真撮る」そんなマイペースな人生を淡々と・・・。