2024.04.17 2024.10.01 読了 なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅香帆 本かつお 記事内に商品プロモーションを含みます ●なぜ気になったか 働いていれば可処分時間が少なくなるので本を読む時間が減るのはあたり前、と思い、読みたい本にはならずスルー。その後、そんな単純な内容でないことを紹介している情報に接し読んでみたくなった ●読了感想 会社員時代、多忙な中でも多くの自己啓発書を読んでいたと自負していたが、それは読書ではなかったと気づかされた。本を読める社会実現の筆者の提案、簡単ではないがそう考えて行動する人が増えてほしいと思う アマゾンレビュー ●心に響いたフレーズ そもそも本も読めない働き方が普通とされている社会って、おかしくない? 効率重視の教養は本物か 「労働が辛いサラリーマン像」ができ上がったのは、実は大正時代だった (大正時代)当時、労働者階級も少しずつ読書を楽しむようになり、とくに大衆向けの雑誌はたくさん読まれるようになった。そのなかで労働者階級と「差をつけたい」新中間層ことサラリーマン層は、「教養」文化の担い手であった総合雑誌を買った 大正時代、自らを労働者と区別しようとする「読者階級」ことエリート新中間層が登場した。それによって「修養」= 労働者としての自己研鑽と、「教養」= (労働の内容には関係なく)エリートとしてのアイデンティティを保つための自己研鑽、そのふたつの思想に分離した 令和の現代で「教養」が「労働」と近づいているーーつまり「ビジネスパーソンのための教養」なんて言葉が流行しているのは、もはや「教養」を売る相手がそこにしかいないからだろう 読書することで自分の階級を「労働者階級とは違うんだ」と誇示したい新中間層 = 当時のサラリーマンーーそれはまさに円本全集のターゲット層だった 1961年のベストセラー、『記憶術−心理学が発揮した20のルール』、『頭の良くなる本−大脳生理学的管理法』、『日本の会社−伸びる企業をズバリと予言する』 実は「若者の読書離れ」という言葉が定着したのは、なんと40年も前の事だった。1970年代から研究され始めた「若者の読書離れ」と言説は、80年代にはすでに人々の間で常識と化していた。(中略)日本人はほぼ半世紀もの間、ずっと「若者の読書離れ」を憂いてきたのだ なぜ処世術やモテ術を語った「BIG tomorrow」は、1980年代に人気を博したのか? 答えは簡単で、サラリーマンの間で「学歴よりも処世術のほうが大切である」という価値観が広まったからだ 読書は常に、階級の差異を確認し、そして優越を示すための道具になりやすい 90年代半ばを経て、<内面>の時代は、<行動>の時代に移行する 世界は、私たちは、脳は、会社は、そういうふうにできている。だから仕組みを知って、行動し、コントロールできるものをコントロールしていくしかない。「そういうふうにできている」ものを変えることはできない。だからこそ、波の乗り方ーーつまり<行動>を変えるしかない 読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例のグラフを描く ノイズの除去を促す自己啓発書に対し、文芸書や人文書といった社会や感情について語る書籍はむしろ、人々にノイズを提示する作用を持っている。(中略)、本を読むことは、働くことの、ノイズになる 村上龍『13歳のハローワーク』。(中略)、「作家」の説明には「最後の職業」とある。さまざまな体験や職業を経てからなっても遅くはない、犯罪者でもなれる職業なんだから、焦ってなろうとする必要はない、という意である。20代で鮮烈なデビューをかました村上龍にだけは言われたくねえ、と思う ニートを作り出したのは、実は「やりたいことを仕事にすべきだ」という風潮だった ネットというのは、ある種の仮面舞踏会でもあった。(中略)、インターネットの情報とは、社会的ヒエラルキーを無効化し、むしろ現実の階級が低い人にとっての武器になりうる存在だった 「情報」と「読書」の最も大きな差異は、知識のノイズ性である。つまり読書して得る知識にはノイズーー偶然性が含まれる。(中略)、しかし情報にはノイズがない。なぜなら情報とは、読者が知りたかったことそのものを指すからである 2015年の電通社員過労自殺事件の被害者である高橋茉莉さんのSNSには、このような言葉が綴られていた。就活してる学生に伝えたいこととは、仕事は楽しい遊びやバイトと違って一生続く「労働」であり、合わなかった場合は精神や体力が毎日摩耗していく可能性があるということ コントローラブルなものに集中して行動量を増やし、アンコントローラブルなものは見る価値がないから切り捨てる。それが人生の勝算を上げるコツであるらしい。(中略)、2010年代半ばのビジネス書の「行動重視」傾向 選択肢を他人に決められたくない、自分で決めたいといつも思っている。今の社会に適応しようとすると、このように考えないと幸せになりづらいのでは、とすら感じる 自分の意思を持て。グローバル化社会のなかでうまく市場の波を乗りこなせ。ブラック企業に搾取されるな。投資をしろ。自分の老後資金は自分で稼げ。集団に頼るな。ーーそれこそが働き方改革と引き換えに私たちが受け取ったメッセージだった 読書を「娯楽」ではなく処理すべき「情報」として捉えている人の存在感が増してきている 早送りで映画を見る人たちの目的は「観る」ことではなく「知る」ことなのだ 教養とは、本質的には、自分から離れたところにあるものに触れることなのである 大切なのは、(中略)、仕事のノイズになるような知識を、あえて受け入れる。(中略)、それこそが、私たちが働きながら本を読む一歩なのではないだろうか 高度経済成長期の男性たちは、全身仕事に浸かることを求めた。そして妻には全身家庭に浸かることを求めた。それでうまくいっていた時代は良かったかもしれない。だが現代は違う。仕事は、男女ともに、半身で働くものになるべきだ 自分から遠く離れた文脈に触れることーーそれが読書なのである 疲れたときは、休もう。そして体と心がしっくりくるまで、回復させよう。(中略)、そんな余裕を持てるような、「半身で働く」ことが当たり前の社会に、なってほしい。何度も言うが、それこそが「働いていても本が読める」社会だからだ 「疲労社会」とは、鬱病になりやすい社会のことを指す。それは決して、外部から支配された結果、疲れるのではない。むしろ自分から「もっとできる」「もっと頑張れる」と思い続けて、自発的に頑張りすぎて、疲れてしまうのだ 「働きながら本が読めなくなるくらい、全身全霊で働きたくなってしまう」ように個人が仕向けられているのが、現代社会なのだ バーンアウト(燃え尽き症)を、侮るべきではない。マレシックはそう告げる。頑張りすぎると、人は壊れるからだ 全身全霊のコミットメントは、何も考えなくていいから、楽だ。(中略)、だが、本も読めない働き方ーーつまり全身のコミットメントは、楽だが、あやうい。なぜなら、全身のコミットメントが長期化すれば、そこに待っているのは、鬱病であるからだ 私たちは、そろそろ(全身全霊ではなく)「半身」の働き方を当然とすべきではないか。(中略)、「全身」は過去のものだ。「半身」社会こそが、「働きながら本を読める社会」をつくる、私たちが望むべき新しい生き方なのである 「全身全霊で働くことを美化したくない」と心から思っています。 (中略)、いつか全身全霊で働けなくなった時、(中略)、なんだか「全身全霊で働けないやつなんて、ダメだ」と考えそうじゃないですか ●目次 まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました 気づけば本を読んでいなかった社会人1年目 本を読む時間はあるのに、スマホを見てしまう 本を読む余裕のない社会って、おかしくないですか? AI時代の、人間らしい働き方 あなたの「文化」は、「労働」に搾取されている 労働と文化を両立できる社会のために 序章 労働と読書は両立しない? 労働と読書は両立しない? 速読、情報処理スキル、読書術 社会の格差と読書意欲 日本人はいつ本を読んでいたのか 第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生――明治時代 1 自分の好きな本を読めるようになった時代 日本の長時間労働の幕開け 句読点と黙読によって本が読みやすくなった 「自分のニーズに合った読書をする」図書館文化 2 日本初の男性向け自己啓発書『西国立志編』 「仰げば尊し」と立身出世 明治時代のミリオンセラー 〝Self-Help〟と自助努力の精神 3 修養ブームの誕生と階級格差 「ホモソーシャル」な「自己啓発書」の誕生 ビジネス雑誌の流行 自己啓発書をめぐる日本の階級格差 第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級――大正時代 1 大正時代の社会不安と宗教・内省ブーム 効率重視の教養は、今にはじまったことなのか? 読書人口の増加 日露戦争後の社会不安 スピリチュアルが、社会主義が、売れる! 2 辛いサラリーマンの誕生 「サラリーマン」の登場 労働が辛いサラリーマン像、誕生 疲れたサラリーマン諸君へ、『痴人の愛』 3 教養の誕生と修養との分離田舎の独学ブーム 「社員教育」の元祖としての「修養」 エリート学生の間に広まる「教養主義」 総合雑誌が担ったもの 「教養」と「労働」の距離 第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?――昭和戦前・戦中 1 日本で最初の「積読」本 円本の成功と驚異の初版部数 改造社の『現代日本文学全集』の大博打 円本ブーム成功の理由①「書斎」文化のインテリアとしての機能 円本ブーム成功の理由②サラリーマンの月給に適した「月額払い」メディア 円本ブーム成功の理由③新聞広告戦略、大当たり 2 円本は都市部以外でも読まれていた 円本=日本で最初の「積読」セット? 農村部でも読まれていた円本 3 教養アンチテーゼ・大衆小説 「受動的な娯楽」に読書は入るか? 戦前サラリーマンはいつ本を読んでいたのか? 忙殺されるサラリーマンたち もはや本を読むどころではない戦時中 第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー――1950~60年代 1 1950年代の「教養」をめぐる階級差 ギャンブルブームの戦後サラリーマン 「教養」を求める勤労青年 紙の高騰は「全集」と「文庫」を普及させた 2 サラリーマン小説の流行 源氏鶏太のエンタメサラリーマン小説 読書術の刊行が示す「読書危機」 日本史上最も労働時間の長いサラリーマンたち 3 ビジネスマン向けハウツー本の興隆 「役に立つ」新書の登場 「本」を階級から解放する 勉強法がベストセラーになる時代 第五章 司馬太郎の文庫本を読むサラリーマン――1970年代 1 司馬太郎はなぜ70年代のサラリーマンに読まれたのか? なぜみんな『坂の上の雲』を買ったのだろう? 司馬作品の魅力の源泉 2 テレセラーの誕生と週休1日制のサラリーマン テレビによって売れる本 土曜8時のテレビと週休1日制 「テレビ売れ」に怒る作家、「TikTok売れ」に怒る書評家 3 70年代に読む司馬作品のノスタルジー 通勤電車と文庫本は相性が良い 70年代と企業文化の定着 企業の「自己啓発」重視文化の誕生 「国家」と「会社」の相似性 社会不安の時代に読む『竜馬がゆく』/『坂の上の雲』は懐メロだった? 第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー――1980年代 1 バブル経済と出版バブル 「嫁さんになれよ」だなんて言えない時代になっても ミリオンセラーと長時間労働サラリーマン 2 「コミュ力」時代の到来サラリーマンに読まれた「BIGtomorrow」 70年代の「教養」と80年代の「コミュ力」 「僕」と「私」の物語はなぜ売れた? 本をみんな読んでいた? 3 カルチャーセンターをめぐる階級の問題 カルチャーセンターに通う主婦・OLへの蔑視 「大学ではない場の学び」 女性作家の興隆と階級の問題 第七章 行動と経済の時代への転換点――1990年代 1 さくらももこと心理テスト 90年代は「そういうふうにできている」 さくらももこと心理テストの時代 2 自己啓発書の誕生と新自由主義の萌芽 『脳内革命』と〈行動〉重視の自己啓発書 〈内面〉の時代から〈行動〉の時代へ 労働環境の変化と新自由主義の萌芽 〈政治の時代〉から〈経済の時代〉へ 3 読書とはノイズである 読書離れと自己啓発書 自己啓発書はノイズを除去する 読書は、労働のノイズになる ノイズのない「パズドラ」、ノイズだらけの読書 第八章 仕事がアイデンティティになる社会――2000年代 1 労働で「自己実現」を果たす時代 自己実現の時代 ゆとり教育と『13歳のハローワーク』 労働者の実存が労働によって埋め合わされる 余暇を楽しむ時間もお金もない 2 本は読めなくても、インターネットはできるのはなぜか? IT革命と読書時間の減少 『電車男』とは何だったのか インターネットの情報の「転覆性」 本は読めなくても、インターネットはできるのはなぜか? 情報も自己啓発書も、階級を無効化する 3 本が読めない社会なんておかしい 過去はノイズである 情報とは、ノイズの除去された知識である 読書は楽しまれることができるか? 第九章読 書は人生の「ノイズ」なのか?――2010年代 1 働き方改革と労働小説 「多動力」の時代に 新自由主義とは何か 働き方改革と時代の変わり目 ノマド、副業、個で生きる 労働小説の勃興 2 「娯楽」が「情報」になる日 SNSと読書量 本を早送りで読む人たち? 自分と関係がない情報、という「ノイズ」 3 他者の文脈を知る 『推し、燃ゆ』とシリアスレジャー 自分以外の文脈を配置する 仕事以外の文脈を思い出す 半身で働く 「働いていても本が読める」社会 最終章 「全身全霊」をやめませんか 日本の労働と読書史 日本の労働時間はなぜ長い? 強制されていないのに、自分で自分を搾取する「疲労社会」 燃え尽き症候群は、かっこいいですか? トータル・ワーク社会 「全身」を求められる私たち 「全身全霊」を褒めるのを、やめませんか 「半身社会」こそが新時代である 半身社会を生きる あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅香帆 created by Rinker Kindle Amazon 楽天市場 Yahooショッピング #評価4#三宅香帆 プロフィール 本かつおXFacebookInstagramLINEContact「観る読む歩く、釣る食べる、求められれば写真撮る」そんなマイペースな人生を淡々と・・・。